血液のがんといわれる白血病。がん化した細胞(白血病細胞)は、正常な血液細胞が減少し、貧血、免疫系のはたらきが低下してしまう恐ろしい病気です。
おもに出血、脾臓(血液を貯蔵しておく臓器)の肥大などの症状があらわれます。
日本では、1年間に人口10万人あたり、男性で11.4人、女性で7.9人の割合で白血病と診断されています(2011年のデータ)。
そんな白血病にかかってしまった有名人が、自身のオフィシャルサイトで「急性白血病」であることを明らかにしました。
シンガー・ソングライターで、元人気女性デュオ「あみん」の岡村孝子さん(57)です。
予定されていたコンサートなどを取りやめ、長期療養に入るという。「皆さまの前に必ず元気な姿で戻って参ります」と気丈につづり、ニューアルバム「fierte」は来月22日に予定通り発売する予定。
岡村孝子さんがサイトで発表した内容は次の通り。
「日頃より、岡村孝子をご支援いただきまして誠にありがとうございます。
本日は、皆様に大切なご報告があります。岡村孝子は先日行った検査の際、『急性白血病』と診断され、急きょ、長期の治療に入ることになりました。6年ぶりとなるオリジナル・アルバムのリリース、コンサートの開催を目前に控える中、アルバム、コンサートを楽しみにお待ちいただいている皆様、また関係者の皆様には多大なご迷惑とご心配をおかけ致しまして誠に申し訳ございません。
岡村孝子はまた皆様の前に必ず元気な姿で戻って参りますので、どうか温かく見守っていただけますようお願い申し上げます」
目次
白血病になった有名人その1:渡辺謙
以降、舞台・テレビドラマなどで次々と大役を演じ、前途洋々に見えた1989年、映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。
再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰。
定期的に入院治療を続けながら、仕掛人・藤枝梅安を中心に活動するが、大きな仕事はできなかった。
経過は良好に見え、一応治療が終了した1993年、NHK大河ドラマ『炎立つ』に再び主演、完全復活をアピール。
しかし、発病から5年経過した1994年に再発。再治療を行い、経過は良好となって、翌年無事復帰を果たす。引用元: wikipedia
発病から5年以上経過した1994年に再発してしまいますが、再治療を始めて翌年に無事、完全復帰することができました。
渡辺謙さんの活躍は誰もがよくご存知かと思います!
ハリウッドデビューも果たしている渡辺謙さんが白血病を克服した事実は、同じ病気で苦しんでいる方々の心の支えになるのではないでしょうか。
白血病になった有名人その2:吉井怜
2000年、奄美大島でのグラビア・カレンダーの撮影時に急性骨髄性白血病を発症した。
病名は両親にだけ伝えられ、骨髄不全症から来る再生不良性貧血で3か月の入院が必要と告げられた。
医師から治療(抗がん剤投与)の副作用から髪の毛が抜け落ちると告げられ、芸能生活がおしまいだと絶望感を味わったが、当時の専務の「待っているから」という言葉にはげまされた。
治療では無菌室に入り、1回目の抗がん剤の投与で髪の毛が抜け落ち爪も黒くなった。
入院から一か月後に白血病であると知らされた。抗がん剤の投与は4回行われ、退院まで5か月がかかった。
医師は彼女に寛解維持療法と骨髄移植の2つの方法があり、母親とHLAが一致することから骨髄移植を勧めたが、彼女は芸能界復帰がかなわなくなることを恐れ寛解維持療法を選んだ。
自宅に戻ったがすぐに芸能界には復帰できず、兄の「生きてなかったら、仕事もできない」という言葉で骨髄移植を受ける決意をした。
2001年7月11日、母親からの骨髄提供により骨髄移植を受けた。
移植後は移植片対宿主病(GVHD)も加わり、10日間ほどの記憶を無くしている。血液型がA型からO型に変わった。引用元: wikipedia
俳優の山崎樹範(やまざきしげのり)さんの妻で、1996年に「IT‘sアクセス」でデビュー。
2年後の1998年のテレビ東京の「仮面天使ロゼッタ」のヒロイン・神あすか役で初主演を果たしブレイクしました。
吉井怜さんも骨髄性白血病でした。
2000年の奄美大島での仕事中に発症して、入院してからおよそ1か月後に白血病と知らされたそうです。
抗がん剤投与を続け、入院から5か月後に退院するもすぐに芸能界復帰は出来ませんでした。
しかし、その後お母さんからの骨髄提供により骨髄移植を受け、いまでも芸能活動を続けておられます!
闘病生活を綴った「神様、何してるの・・・白血病と戦ったアイドルの手記」はベストセラーにもなり、2003年に宮地真緒さん主演でドラマ化されるほどです。
吉井怜さんは骨髄移植を受けた後、血液型がB型からO型に変わったそうです。現在もバリバリ活躍している人を見ると、励まされますね!
白血病になった有名人その3:本田美奈子
2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。
そんな中11月には地元・朝霞市でのコンサートや、12月23日には新宿文化センター大ホールでのクリスマスコンサートに出演。
暮れには結果的に生前最後のTV出演歌唱となった翌2005年1月30日テレビ朝日系放送の「題名のない音楽会21」の収録に臨んだ。
翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し、翌日にはその事実が公表された。
その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解(癌細胞が十分に減った状態)は得られなかった。
急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。
治療として骨髄移植が考慮されたものの、骨髄バンクでドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったことから、同年5月、臍帯血移植を受けた。
同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月8日に再入院し、輸入新薬による抗癌剤治療を受けた。
翌月には再度一時退院、その間には白血病患者支援のためのNPO法人『Live for Life』が設立されたが、同月末には再入院となった。
その後肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、家族らの見守るなか、死去した。38歳没
引用元: wikipedia
1985年の「殺意のバカンス」でアイドル歌手としてデビュー。そのあと1986年に発売された「1986年のマリリン」の衣装がへそ出しルックスで話題となり、腰を振る振り付けなど当事のアイドル歌手としては異例の演出とあいまって大ヒットしたようです。
その後もテレビ活動やミュージカル・クラシックアルバムなどをリリースするなど精力的に活動していましたが、2005年に白血病でこの世を去りました。
病名は急性骨髄性白血病
本田美奈子さんの場合は、初期症状が2004年末ごろから風邪のような症状や微熱が続いていたそうですが仕事はつづけており、2005年1月に急性骨髄性白血病と診断されて緊急入院されたようです。
2回の入退院を繰り返したあと、2005年11月にこの世を去りました。
本田美奈子さんの場合は極めてまれな治療後の見通しが立たない治療抵抗性の白血病だったことも災いしてしまったのでしょうか。残念です。。
ですが、今までも本田美奈子さんを主役にしたドラマなどが作られていますし本田美奈子さんの歌も歌い継がれていくことでしょう!
アイドル歌手としてデビューし、晩年はミュージカルでも大活躍した本田美奈子さんでした。葬儀にはたくさんのファンの方が訪れ、その早すぎる死を惜しみました。
白血病になった有名人その4:夏目雅子
1985年(昭和60年)2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中、10円玉大の口内炎が出来、さらに激しい頭痛など極度の体調不良を訴える。
それでも泣きながら「這ってでも舞台に戻る!」と、頑なに出演続行を望む夏目本人を何とか説得して、共演の西岡徳馬の勧めにより翌2月15日、慶應義塾大学病院に緊急入院した。
急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。
夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。
当初から、娘の芸能活動にずっと反対だった母スエは、彼女が入院して初めて娘の出演する作品をみて、ベッドの彼女に話しかけた。その時彼女はとても喜んだという。
その後、約7ヶ月に渡る闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、8月下旬から抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発。
高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引いたが、翌9日から再び高熱を発して、意識不明の重体になり、1985年(昭和60年)9月11日午前10時16分、逝去。27歳没。
引用元: wikipedia
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有名な作品は「トラック野郎・男一匹桃次郎」(1977年放映)のヒロイン・小早川雅子や「西遊記」(1978年~1980年放送)の三蔵法師などでしょうか。
夏目雅子さんは三蔵法師役の姿が「頭の形が良く、とても美しい」と話題になっていたそうです。
1985年2月に公演の「愚かな女」の舞台公演途中に10円玉大の口内炎が出来て激しい頭痛など極度の体調不良を訴えていたようです。
その後、慶應義塾大学病院に緊急入院し白血病と診断されたようです。
治療を続けていき順調に回復にむかっていましたが、抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発して高熱が続き、最終的には意識不明の重体になり亡くなりました。
病名は急性骨髄性白血病
初期症状は鼻血や歯肉からの出血が止まりにくい、紫斑、点状出血ができるなどの軽い出血症状、風邪だと思っていたがなかなか下がらないなどの感染症、全身の倦怠感や息切れなどの貧血症状などがあります。
健康診断で発見されることもあるが、診断までの期間が遅れるほど白血病細胞は増加して初期症状が重くなり脾臓(ひぞう)、肝臓、リンパ節にも浸潤して臓器腫大をきたし、様々な症状が現れるようになるが、発見が早ければ早いほど症状も軽度である。
夏目雅子さんの場合は、順調に回復に向かっていただけに、とても悔しくて悲しいですね。
夏目雅子さんは白血病が原因ではなく、抗がん剤の副作用がきっかけで体調が悪化して亡くなられたため、当時は抗がん剤についての議論が様々な専門家の間で巻き起こりました。
白血病になった有名人その5:大塚範一
2011年11月2日から体調不良を理由に『めざましテレビ』の出演を休業。
急性リンパ性白血病と診断を受け治療を受けることになる。大塚は同年11月7日放送分の『めざましテレビ』に生電話出演。
闘病生活へ入った経緯について他の出演者や視聴者に向け説明を行った。
寛解(完治ではないが、病状が一時的あるいは永続的に軽減また消失すること)と診断され、2012年10月1日に退院を果たす。
退院後の生活については「自宅から定期的に通院し、検査を行いながら体力の回復を図る」と発表した。
本格的な仕事復帰については、体調を見ながら年明けか新年度を目指すとしていた。
しかし、本格復帰目前の2013年3月16日、白血病が再発したことが判明する。
フジテレビは、大塚が『アゲるテレビ』への出演予定を当面キャンセルし、再び闘病生活に専念することを発表した。
同年9月、退院。同年10月5日放送の『めざましテレビ』特別番組に生電話出演し、臍帯血移植手術をしたことを明かした。
また、血液型A型の少女が血液ドナーだったため、移植手術を受けて血液型がB型からA型に変わったことを明かした。
2014年5月4日放送のフジテレビ『ワンダフルライフ』にもゲスト出演し、以後、情報・バラエティ番組へのゲスト出演を時折行っていた。
だが、2015年5月の『世界HOTジャーナル』を最後にテレビ出演を、2017年1月のラジオ番組を最後にメディア出演を行っていない。
引用元: wikipedia
1973年に早稲田大学を卒業後NHKへ入局しました。同期は池上彰・宮本隆治などです。1994年3月にNHKを退職し、みなさんご存知のフジテレビの朝の番組「めざましテレビ」のメインキャスターを務めていました。
2011年11月2日に体調不良から出演を続けていた「めざましテレビ」を休むこととなり、急性リンパ性白血病と診断を受けます。
同月7日に「めざましテレビ」に電話で生出演をし、闘病生活に入る経緯などを説明しメインキャスターはフジテレビの伊藤アナウンサーが代行することになった。
当初は半年ぐらいで仕事に復帰できる予定だったが、さらに治療に時間がかかることがわかりめざましテレビのメインキャスターは三宅アナウンサーに代わることとなった。
抗がん剤治療などを行い、2012年10月1日に本人の強い希望もあり退院へと踏み切った。
その後は順調に回復し、めざましテレビの生放送にも出演できるまでになったが、2013年3月16日再発が判明し、再び闘病生活に入ることとなった。
大塚さんの場合、骨髄移植が困難であると医師から伝えられていた。その理由は2つ。
・ドナーになりうる兄弟が高齢である
・大塚さん自身も60代である程度年齢がいっている
しかし、「臍帯血移植手術」を行う事ができたため、大塚さんの血液型はもともとのB型から、ドナーの血液型であるA型に変わったという。
その後退院し、2017年1月のラジオ出演以来、メディアへの出演は行われていない。現在の病状は安定しているようです。
そして、ご本人の希望で2020年オリンピックなどへの番組へ出演したい。という希望もあるそうで、そちらに向けて今はリハビリの時期なのでしょう。お待ちしていますね!
めざましテレビでお茶の間の人気を博した大塚範一キャスターも白血病に苦しんでいる一人です。またテレビでお目にかかれる日を楽しみにしております!
白血病になった有名人その6:アンディ・フグ(K-1ファイター)
2000年10月9日のK-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAでトーナメントに出場する予定だった。
しかし大会の2か月前の8月24日午後2時に正道会館で記者会見が行われ、アンディが入院先の日本医科大学付属病院にて急性前骨髄球性白血病 (APL) によって危篤状態であることが発表された。
病気のことは周囲に心配をかけることを嫌い、家族にすら内緒にしていたという。
死の床でアンディは、日本での活躍の場、K-1での活躍の場を提供するきっかけを作った正道会館の石井和義館長(当時)と会話。
「I Love You. 館長。」と語りかけ、石井は「I Know. わかっているよ。」と答えたという。
臨終の間際、石井会長やアンディと親交の深かった角田信朗ら関係者各位の
「何してんねん!」「試合はまだ終わってないぞ!」「アンディ、ハンズアップ!(構えろ!)」
などの激励により、3度の心肺停止状態から回復したものの、4回目の心停止には応えず、担当医師が「角田さん、アンディは3度立ち上がった。
残念ですがドクターストップです。もう休ませてあげましょう。」と延命処置の打ち切りを指示したこともあり、午後6時21分に永眠した。
葬儀は本人の希望を酌んで日本式の仏式葬儀で行うことになり、麻布の善福寺で営まれた。2000年8月27日の告別式はテレビで生中継された。
引用元:wikipedia
K-1全盛期を支えたアンディ・フグ選手もまた白血病により苦しんだ末に帰らぬ人となりました。
当時のK-1においてもっとも高い人気を誇っていたアンディ・フグ選手の死は多くの格闘技ファンを悲しませました。
私も当時は、アンディ・フグ選手の綺麗な技の様やルックスが大好きでした。外国の選手なのにまるで日本人のようなスピリッツを持っている選手でしたね。
出身国であるスイスと彼が愛した日本の両方で今でも英雄として讃えられています。
白血病になった有名人その7:大豊泰昭(プロ野球選手)
闘病生活の末に同年8月に退院したものの、2010年3月に再発。実妹からの骨髄移植を受け、同年9月上旬に退院した。
2011年3月26日に体力的に経営が困難になった「大豊飯店」を閉店。5月25日に岐阜県海津市のお千代保稲荷参道内に「大豊ちゃん」として移転オープンしている(オーナーではなく雇われ店長扱いであった)。
2012年、大豊飯店時代の顧客女性と再婚。
2014年から急激に体力が低下し歩行困難となったため、10月から店をスタッフに任せて治療専念の療養生活に入った。
2015年1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市の病院で死去。51歳没
引用元:wikipedia
セ・リーグの中日、阪神に所属して活躍し、野球フアンから愛された大豊泰昭さんも白血病により亡くなっています。
退院後には骨髄バンクの講演を行うなど、同じように白血病に苦しむ人達のために積極的に活動し、励まし続けていました。
その苦しみを味わった人にしかない、想いがあるのでしょう。人間の心の強さを改めて知りました。
白血病になった有名人その8:市川團十郎
市川團十郎家は歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもあります。
最近、市川海老蔵さんがお父様の「十三代目市川團十郎」に襲名したこともニュースになって話題になっていましたね!
團十郎さんも2004年に急性骨髄性白血病を発症してしまいました。移植手術などを経て、一時は回復して退院しましたがその後、再発をしてしまい2013年に亡くなられました。
再発の場合は1回目の時よりも発見が遅くなってしまうことがあるようなのでとても慎重になるみたいです。怖いですね。
また骨髄移植をする場合も治る可能性ももちろんありますが、副作用として肺炎になりやすく、肺炎をこじらせてしまい亡くなってしまう場合もあるようなので、とても過酷な闘病生活ということが分かります。
團十郎さんも一度は退院出来るまで回復したことがすごいです!
残念ながら白血病を完治できずに亡くなられてしまった方もいましたが、それらの方々もたくさんの人達の励ましを受け、必死に白血病と闘い続けました。
長く苦しい闘病生活になるかもしれませんが、決して孤独ではないことを心に留めて白血病に立ち向かってほしいと思います!