「良いことも悪いことも一番を目指せ!」
これは私の父が残してくれた言葉です。
わたしが24歳の時に病気で亡くなった父が、私が物心つくくらいからずっと言われ続けてきた言葉です。
父は「The 昭和の男」って感じの男で、とてもパワフルな人でした。
見た目はとりあえず暴力団ですね。。
そんな彼の周りには不思議と人が集まっていました。豪快・大胆のなかにも繊細さを併せ持つ不思議なひとでした。
そんな彼は、ことあるごとにこの言葉を私に教えてくれていたのです。
平成も終わり今は令和の時代。ふと、父の面影と一緒にこの言葉を思い出すときがあります。
わたしも父ほどではありませんが、いろんな人生経験を積んだ今、この言葉の意味について考えてみようと思います。
良い事も悪い事も一番を目指せ!今は亡き父の言葉は正しかったのか?
当時の私は、なんとなくで捉えていましたね。何をやるにせよ一等を目指すくらいでなければいけないという風に。
悪いことを目指すのは論外なわけですが、この「悪いことでも一番を目指す」という考え方がキーポイントなのではないでしょうか。
私は料理人でありまして、20歳くらいの時に職場でこんな経験をしました。
私は仕事を終えた深夜に厨房に残り、数日後に控えた大きな料理コンクールのために、度々練習をしていました。
そこによく先輩が訪れてアドバイスなどをしてくれていました。
その先輩も同じコンクールに出場するいわばライバルでもあったのです。一緒に練習する時もあり、お互いによい刺激になっていました。
そのコンクールはコース料理をつくるもので、最後のデザートに関しては自由課題となっていたのです。
私はクレープ生地を使ったものに決めていて、それに使う専用のフライパンもいくつか確保していました。
そして大会当日の朝に厨房に行って、調理器具を持って行こうと準備をはじめると、昨晩まで何個かあったクレープ用のフライパンが1個しか見当たらないのです。
イメージでは3個を同時に使う予定だったために、大幅な時間ロスを余儀なくされました。
仕方なしに大会会場に行くとそこで衝撃の事実が明らかになるのです。
なんとその先輩が、私の使う予定だった残りのフライパンを持ってきていたのです。
その先輩も自由課題は私とほぼ同じ内容のデザートでした。つまり深夜に度々訪れていたのも私の演目をチェックするためだったのです。
自分で言うのも恥ずかしいのですが、年齢の割にはみんなから期待されていて、技術的にも同年代のなかでは群を抜いていました。
そんなわたしに危機を感じた先輩は、なりふり構っていられなかったのでしょう。
逆に言うとそれだけ勝ちたかったし、負けたくなかったのです。
逆にそれを知った私は、「だせーよ先輩~」と引いてしまい、なんか肩の力が抜けてしまったのを覚えていますね。
それが原因だったかは分からないですが、みごと先輩は私を破り、全国大会へ進んでいきました。
それで感じたことは。。
勝負は勝たなければ意味がないということ。たとえ卑怯と言われようとも勝ちに行く!!
その気迫と根性はここぞという時には必要不可欠だということを肌で感じさせられました。
勝負の世界においては、良い負けなんてありえません。
負けて良い経験になるとは思えないし、思わないようにしています。
負けて得られるものがある前提で進めていくと、勝負になりませんもんね。
その証拠?に、その先輩の現在は、あるホテルの総料理長になっていますよ。
今なら父の言葉がこう解釈できる気がします。
「男に生まれたなら、勝負には勝たなければいけない。たとえどんな手段を使おうが。。泥臭い勝ち方であったとしても、その価値は光輝いている」