14年を過ごした愛猫から教えられた、命の大切さと寄り添う気持ち。

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どうも、やしゃまる(@yashamaru_feel)です。

先日にこんなツイートをしました。

14年のあいだにわたって、一緒に居てくれた愛猫が天命をまっとうしました。その壮絶な最後に実に様々なコトを彼から教わったような気がします。

悲しいのはもちろんですが、命というもののあり方や相手に寄り添うコトの意味など。

私たちが普段の生活ではなかなか考えないような深いことを考えるキッカケにしてくれました。

今回は少し重いテーマでもあるのですが、生きていくうえでとても重要なコトだと思います。

少しでも多くの人が考えるキッカケになれば嬉しいです。

猫ちゃんと暮らしている方で、そんなコトはまだ考えたくないという方は無理に見る必要はありませんので、気が向いた時にでもこの記事のコトを思い出してくださいね。

14年を過ごした愛猫から教えられた、命の大切さと寄り添う気持ち。

14年間の間、私の大切な家族として一緒にいてくれた彼は腎臓病を患い壮絶な闘病生活を余儀なくされてしまうのでした。

老猫がかかる病気ナンバー1の腎臓病。

猫ちゃんが年齢を重ねていって、かかってしまう病気でいちばん多いのが腎臓病です。

腎不全になってしまう猫ちゃんが非常に多く、老猫の宿命とも言われているくらいなのです。

腎不全になってしまうと残念ながら良くなることは100%ないみたいです。

私はお医者さんに、何度も何度も聞き返しましたが、腎臓の機能が回復して良くなることはないそうです。

初期症状としては、水をたくさん飲みはじめ、おしっこがたくさん出ます。

そのうちウンチが出ずらくなってきたり、下痢や嘔吐を頻繁に繰り返すようになります。

最終的には口からの食事をしなくなり、日に日に衰弱していきます。

うちの猫も最後は家で、点滴と酸素カプセルの治療を徹底していました。

猫ちゃんが少しでも長くいられるようにするためには。

今回の一件で、あらゆる情報を仕入れたり、お医者さんに聞いたりしたことを私なりにまとめてみます。

大切な猫ちゃんと長くいられる方法

・普段から腎臓に負担をかけない生活を心がける

食事療法が一番!(腎臓に良いものだけを与える)

・外飼いはせずに家の中で過ごす

・定期的な健康診断は必須事項

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・家の中でも適度な運動はさせる

・普段の排泄の量を把握しておく

・少しでも、体調の変化は見逃さない

・普段から充分なコミュニケーションを取っておく

いちど悪くなってしまうと、良くはならない腎臓を少しでも長持ちさせるような生活を送ることが大切になります。

この辺りのコトを気にすることで、猫ちゃんの腎臓にかかる負担はだいぶ少なくなるはずです。

とはいえ、自然のままで暮らさせてあげたいと想う気持ちも痛いほど分かります。

猫ちゃんが喜んで食べる、「おやつ」もたくさんあります。何が良いか悪いかは正直分かりません。

私にとってもすごく難しくて、答えの出ない永遠のテーマなんです。

彼から教わった大切なこと。

この画像を見るだけでも泣きそうです・・

彼は本当に頑張ってくれました。口から一切の食事をすることができなくなり、歩くことも出来ない状態になりました。

圧縮した酸素を取り入れてなおかつ、少しずつの点滴が唯一の命綱だったのです。

呼吸も荒く、たまに見せる発作には彼自身も見ている私も涙が溢れてきていました。

そんな中である疑問が生まれてきたのです。

「ここまで苦しい思いをさせる必要があるのだろうか?」

「延命治療ははたして彼自身のためにやっているのだろうか?」

「苦しい時間を私たち人間がいたずらに延ばしているだけではないのか?」

「すべては自己満足なだけなのか?」

自然の流れに沿っていくとこうなります。

・年齢を重ねて老猫になる→腎臓や各機能が衰える→しだいに弱っていく→寿命を自然に全うする。

そこには、不自然な苦しみや時間もありません。

ただただ、命をまっとうするために一生懸命に生きるのです。

その時間や苦しみを私たちのエゴで操作することは、大好きな猫ちゃんを苦しめているだけかもしれないのです。

何度も言いますが、いまだに正解はわかりません。

しかし、大好きな家族が苦しむようなことはしたくはありません。できるだけ自然に近い形で命をまっとうしてもらいたかったのです。

そして、点滴と酸素を外してもらいました。

外してもらった翌日に亡くなりました。

とても穏やかに静かな最後でした。

「ありがとう」

それだけでした・・

感謝の気持ちでいっぱいでした。

最終的に私の中では、彼に対して長く生きてもらおうという気持ちはなくなっていました。

少しでも苦しい思いはもうしてほしくなかったのです。

穏やかに、自然に生きてほしかったのです。

ただそれだけでした。

とても大きく深い深呼吸が最後でした。

私のとてもとても大切な家族である「やしゃまる」が逝った日の空は、清清しくて綺麗でした。

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